柳ヶ瀬ブルース [エンタメ]
「柳ヶ瀬ブルース」は
美川憲一が発売した
3作目のシングル盤レコードである。
この曲は、
1967年に出した『新潟ブルース』
1968年に出した『釧路の夜』と共に
美川のご当地ソングシリーズ
三大ヒット曲と謳われている。
作詞作曲者の宇佐英雄は岐阜市の歓楽街
『柳ヶ瀬』で流しでこの曲を歌っていたが
彼が自費製作したフィルム・レコードを入手した
日本クラウンのディレクター長田幸治が
美川憲一デビュー当初の青春歌謡路線は
向いていないと判断して方向転換するために
3枚目のシングル盤として歌わせたものであり
実際に演歌・ムード歌謡路線に
方向転換する転機になった曲である。
青春歌謡と比すると暗いため
当初は美川自身「私は明るい性格だから」
などという理由により歌いたくなかった
としばしば番組などで語っている。
この曲が120万枚を超えるヒット曲となって
柳ヶ瀬の地名が全国に知られるようになるとともに
美川自身もスター歌手としての地位を確立していくこととなる。
●A面:柳ヶ瀬ブルース
歌手:美川憲一
作詞:宇佐英雄
作曲:宇佐英雄
編曲:小杉仁三
発売:日本クラウン
発売日:1966年(昭和41年)4月1日
●B面:ひとすじの涙
歌手:美川憲一
作詞:星野哲郎
作曲:小杉仁三
編曲:
発売:日本クラウン
発売日:1966年(昭和41年)4月1日
引用:Wikipedia
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