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愛のメモリー [エンタメ]



「愛のメモリー」は
松崎しげるのシングル。
1976年(昭和51年)

ビクターレコードのディレクターが
スペインのマジョルカで開催される

「マジョルカ音楽祭」を知り
音楽祭参加のために楽曲を
制作することを決意する。

同音楽祭は、当時注目をされていた
ヨーロピアン・ポップス界の
登竜門的存在であり

審査員は
フランシス・レイ、
ポール・モーリア、
ミシェル・ルグラン
などの作曲家である。

それまでにないスケールの大きな楽曲が製作されることとなり、
歌手として白羽の矢が立ったのが松崎しげるであった。

フランク・シナトラの「マイ・ウェイ」を念頭においた
ラブ・バラードが最適とディレクターは判断し
作詞をたかたかし、作曲を馬飼野康二に依頼する。

たかは「万葉集」の一節から、
藤原鎌足が妻をめとったときに詠んだ一節を元に

馬飼野は、ヘンリー・マンシーニの
「ひまわり」を念頭に置き楽曲を完成
「愛の微笑み」と名づけられた。

音楽祭では、より曲を印象付けるため
サビをスペイン語にするなどの手直しが施された。

本番では松崎の圧倒的な歌唱力と
ステージ・パフォーマンスにより
松崎自身に最優秀歌唱賞を総合では第2位を記録する。

しかし、日本での対応は冷ややかであった。
各種メディアも、音楽関係者も松崎の受賞を気にも留めなかった。

また、楽曲そのものに関しても注目が集まることはほとんどなく
松崎自身がテープを持参して曲の売込みを行なうこととなるが
売り込み自体も困難を極めた。

1977年(昭和52年)、話題のカップルであった
三浦友和と山口百恵の共演するコマーシャルソング
として登場した「愛の微笑み」は注目を集め

同年8月に、やや歌詞を改変して
「愛のメモリー」としてリリースされる。
同年暮れの『第28回NHK紅白歌合戦』に初出場。

翌1978年(昭和53年)
春の第50回選抜高校野球大会の行進曲にも起用され
開会式のゲストに呼ばれた松崎は

かつて高校球児の頃に怪我のため断念した甲子園球場へ
楽曲での出場を果たした。

●A面:愛のメモリー
歌手:松崎しげる
作詞:たかたかし
作曲:馬飼野康二
編曲:馬飼野康二
発売:ビクターレコード
発売日:1977年(昭和52年)8月10日

●B面:フライング・バード
歌手:松崎しげる
作詞:たかたかし
作曲:釘崎哲郎
編曲:釘崎哲郎
発売:ビクターレコード
発売日:1977年(昭和52年)8月10日

引用:Wikipedia

matuzakisigeru_04.jpg
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