小樽のひとよ [エンタメ]
「小樽のひとよ」は
鶴岡雅義と東京ロマンチカのデビューシングルである。
北海道・小樽のご当地ソングでもある。
ボーカルは三条正人であった。
なお発売当初は大海晴彦の
「花園町哀歌」との両A面扱いであった。
恋をするなら [エンタメ]
「恋をするなら」は
橋幸夫のポピュラーヒット曲である。
なお、台湾では「墓仔埔也敢去」と
「一吻定情」のタイトルがある。
橋の青春歌謡路線の一曲でもあり、
B面の「孤独のブルース」と共に、
1964年に公開された橋主演の
松竹映画『孤独』の主題歌として
制作・発表された作品である。
燦めく星座 [エンタメ]
「燦めく星座」は、
1940年3月に日本ビクターから灰田勝彦の
歌唱によって発売された昭和歌謡である。
灰田の出世作であり彼を代表する屈指の曲である。
1940年(昭和15年)の正月映画・千葉泰樹監督の
『秀子の応援団長』の挿入歌。
レコードは二ヶ月遅れの3月に発売された。
日本全国酒飲み音頭 [エンタメ]
「日本全国酒飲み音頭」は
コミックバンドのバラクーダの曲。
この曲の原型は、鈴木が知り合いの経営する
スナックに居た時に耳にした
ディズニー映画『シンデレラ』の劇中歌
『Bibbidi-Bobbidi-Boo』の替え歌である。
花嫁 [エンタメ]
「花嫁」は、
はしだのりひことクライマックス名義のファースト・シングル。
ギターのイントロから始まる、
70年代フォークソングを代表する楽曲のひとつ。
暗いイメージのある駆け落ちを
明るく前向きに表現した楽曲である。
老人と子供のポルカ [エンタメ]
「老人と子供のポルカ」は、
左卜全とひまわりキティーズの歌唱による日本の楽曲
1970年2月10日に日本グラモフォン
(現・ユニバーサル ミュージック合同会社)
からリリースされた。
さよならをするために [エンタメ]
「さよならをするために」は
日本テレビのテレビドラマ『3丁目4番地』の主題歌として
石坂浩二によって作詞、坂田晃一によって作曲され
ビリーバンバンによって歌われた楽曲。
当時、人気の低迷していたビリーバンバンにとっては
「白いブランコ」以来の大ヒット曲となった。
愛の奇跡 [エンタメ]
「愛の奇跡」は
ヒデとロザンナのデビューシングル
発売当初は「何にも言えないの」がA面で
「愛の奇跡」がB面だった
二人はデビュー曲「何にも言えないの」を
宣伝するため福岡を皮切りに東へと
レコード店の全国キャンペーンを展開する。
可愛い花 [エンタメ]
「可愛い花」は、
1959年に発表された
ザ・ピーナッツのデビュー曲。
外国カバーの楽曲で、
当時日本ではあまり事例がなかった
ポップ・ミュージック系楽曲(いわゆる「ポップス」。
日本では和製ポップスとも言われる)であり、
音楽ジャンルの多様化の始まりとしても知られている。
ふりむかないで [エンタメ]
「ふりむかないで」は、
1962年2月に発表されたザ・ピーナッツ歌唱
和製ポップス最初期のヒット作品であり
岩谷時子・宮川泰コンビによる初のヒット曲である。
またザ・ピーナッツにとっても、
オリジナルソングとしては初のヒット曲でもあった
(ただし、これは初のオリジナルのソングではない)
有楽町で逢いましょう [エンタメ]
「有楽町で逢いましょう」は
フランク永井歌唱の楽曲である。
この楽曲の作成の経緯は、
そごう(本社/大阪府大阪市南区。南区は現在の中央区)
の東京への進出の際に、出店地候補の一つとして有楽町を
検討していた事から始まる。
タグ:有楽町で逢いましょう フランク永井
東京ナイト・クラブ [エンタメ]
「東京ナイト・クラブ」は
フランク永井と松尾和子のデュエットで
日本ビクターからレコードが発売された
夜の都会の雰囲気が漂うムード歌謡の代表曲でもあり
デュエット・ソングとしても人気のある定番曲である。
恋の季節 [エンタメ]
「恋の季節」は、
ピンキーとキラーズのデビューシングル。
1969年(昭和44年)2月には、
同名の映画がピンキーとキラーズ
主演によって松竹から公開された。
累計売上は270万枚を記録。
四つのお願い [エンタメ]
「四つのお願い」は
ちあきなおみの楽曲で4枚目のシングル
ちあきは本楽曲で
「第1回日本歌謡大賞」放送音楽賞を受賞。
当時のちあきは「お色気アイドル路線」といわれた。
本楽曲で1970年の『第21回NHK紅白歌合戦』に初出場した
ギザギザハートの子守唄 [エンタメ]
「ギザギザハートの子守唄」は、
チェッカーズのデビューシングル
発売当初は殆ど売れなかったが、
翌1984年1月に発売した、
2枚目のシングル「涙のリクエスト」
の大ヒットにより、
同曲も相乗効果で順位を上げ、
3枚目のシングル「哀しくてジェラシー」
と共に、3曲同時トップ10入りを果たした。
FUNKYダッコNo.1 [エンタメ]
「FUNKYダッコNo.1」は、
日本のロックバンド・ハルヲフォン
(のちの近田春夫&ハルヲフォン)のシングル
1972年(昭和47年)に結成された
ハルヲフォンのデビューシングルである
タカラの「ダッコちゃん」の
再発売に当たっての
タイアップ企画盤であった。
悲しくてやりきれない [エンタメ]
「悲しくてやりきれない」は
ザ・フォーク・クルセダーズの2枚目のシングル
2枚目のシングル曲として予定されていた
「イムジン河」が発売自粛となったため
それに代わる曲として制作された
イムジン河 [エンタメ]
日本語詞のついた「イムジン河」のうち
最もよく知られているのが1968年(昭和43年)に
ザ・フォーク・クルセダーズが歌ったものである
「帰って来たヨッパライ」200万枚発売記念パーティーの翌
突如レコード会社は「政治的配慮」から発売中止を決定
(すでに13万枚が出荷されていた)
結果的に放送自粛的な雰囲気が広がる
いわば・・幻のヒットレコード
帰って来たヨッパライ [エンタメ]
「帰って来たヨッパライ」は
ザ・フォーク・クルセダーズのデビューシングル
「フォーク・クルセイダーズ」名義だった自主制作LPの
「ハレンチ・ザ・フォーク・クルセイダーズ」
に収められていた曲である